二番街ウォッチング ― “二番街”という物語 ― (前編)
(記)柏木じゅん子 2009.6
二番街では、季節に応じた絵柄のフラッグや、レイソル応援旗、お祭りなど各種行事に合わせたフラッグをアーケードに掲げている。フラッグは年に6回程度付け替えられており、6月には「柏Always」と題して、柏の昔の写真や二番街のお店の創業者の似顔絵に一新された。
二番街(南口側) フラッグ(1992 二番街七夕祭)
1957年の柏駅の写真を見ると、現在の駅舎よりずっと小さいことがわかる。二番街商店会理事長の石戸新一郎さんに昔の柏駅について伺ったところ、当時は柏駅に電車が入ってくるのが二番街から見えたので、電車が駅に到着してから駅まで走れば電車に間に合ったそうだ。今のようにダブルデッキもなく、階段のない平屋建ての駅舎時代を髣髴とさせるエピソードである。
フラッグ(1957 柏駅風景)
また、今年2月にかしわインフォメーションセンターにて開催された「似顔絵でたどる柏二番街をつくった人たち展」のために福永明子さんが描いた二番街の創業者の似顔絵もフラッグになった。創業者の方々の似顔絵は、それぞれの店舗の前に掲げられている。
フラッグ(創業者の似顔絵)
梅林堂の創業者、関谷重元さん(故人)は東京浅草の出身だが、1945年の空襲で焼け出されて柏へ移り住んだ。商いを始めようと、最初は野菜や果物を露店で売り、次に飴を戸板の上に並べて販売した。この飴屋が1948年に開店した梅林堂の原点になる。その後、奥様の千鶴子さんと共に様々なご苦労を乗り越えて、1966年にはお菓子・パン・洋食・甘味処・中国料理・ビヤガーデンが揃った梅林堂ビルを一代で築き上げた。現在、梅林堂はお菓子屋さんではなくなったが、「BAIRIN−DO」の文字と梅の花マークは二番街の入り口で存在感を放っている。
関谷重元さん 梅林堂
石戸孝行さんは、先代石戸喜一郎さんが営んでいた魚屋「石戸商店」を受け継ぎ、1963年に柏で最初のスーパーマーケット「京北スーパー」を創業。1960年代後半以降、柏駅周辺に大型量販店が進出してきたことを受けて、それまでの業態を変更し、品揃えを安心・安全な高品質の食品に特化した。現在、京北スーパーの相談役に就任中の石戸孝行さんが、朝日新聞(夕刊)に連載されている「ニッポン人脈記」の「魂の中小企業」シリーズで紹介されたことは記憶に新しい。(記事掲載日:2009年1月27日)
石戸孝行さん 京北スーパー
石戸豊作さん(故人)は、1951年に「いしど画材」の前身「石戸豆腐店」を創業(その後1967年に「いしど画材」を開業)。1965年に結成された「京北通り商店会」の初代会長に就任し、大型百貨店の相次ぐ出店に危機感を覚えて、商店街活性化のために全蓋アーケードの建設を提案。紆余曲折を経て、1974年に千葉県初の全蓋アーケードが完成する。その際、「京北通り商店会」から「二番街商店会」へと名称が変更されたが、それは豊作さんの「一番になったら次に目指すものがない。“二番”として、いつも一番になるように挑戦し続ける街でいよう」 というアイデアから生まれた名称だった。
石戸豊作さん いしど画材
二番街の礎を築かれた先人たちの生き生きとした笑顔が、アーケード内で風にはためいているのを眺めていると、「人に歴史あり、街に歴史あり」という言葉が浮かんだ。不況どころか、何もなかったところから身を粉にして働いて店を構え、家族やスタッフ、お店同士が助け合いながら生活していた時代があったからこそ、今の二番街がある。昔に比べたら街は大分様変わりしているものの、歴史は確実に存在し、「今」を支えていると言えるのではないだろうか。 そうした二番街の歴史を踏まえた上で現在の二番街の姿を見るべく、二番街で一日過ごしてみることにした。【後編へ続く】


<参考文献>
『二番街に生きる―オヤジ讃歌』 石戸新一郎(著)
『俺は商人(あきんど)という役者だった―梅林堂五十周年記念』 関谷重元(著)
『梅林堂 おんな太閤記』 関谷千鶴子(著)

※ 二番街の歴史は、「柏二番街商店会HP」の「Story■二番街いまむかし 二番街の移りかわり」コーナーにも掲載されています。